翌日、職場では新たなうわさが加わっていた。あの後二人はデパートの生活雑貨売り場をうろついていたらしい。
「絵に描いたような美男美女だったな」
「桜川みたいな奴は、意外とぱっとしない女を選ぶんじゃないかと思ったけどな……」
そんなわけないだろ。愛じゃないのだから。形だけの結婚ならば、絵になる相手を選ぶに決まっている。桜川さんが女に惚れるはずがない。だって桜川さんの心は――
『
一途なんだよ』
これ以上考えてはいけない。俺は思考のシャッターを下ろした。
その日一日桜川さんは外回りで、その間うわさは社内を駆け巡った。張り付いた笑顔で心をガードしながら、それが通り過ぎるのを待つ。残業を終えた頃には、ぐったりとしていた。
誰もいない喫煙コーナーで休んでいると、見たくない顔に会ってしまった。
「桜川さんなら、打ち合わせです」
「俊哉こそ、待ってるんだろ?」
澤辺が笑う。食えない男前だ。
「こっちには戻らないと思いますよ」
タバコも吸わずにここにいることをばつが悪く思いながら、小さく言い訳をする。
そのとき携帯が震え、あわててメールを確認する。予想通り、桜川さんから直帰する旨を伝えるものだった。
「日和、もう帰ったって?」
「……はい」
「俊哉、疲れた顔してるな」
「あ……」
頬にふれようとした手を思わず払ってしまう。
「早く帰って、日和にかわいがってもらえよ」
気にせず澤辺が微笑む。そんなからかいが、ささくれた心臓に痛い。
「俺が……行ったって……」
どうなるというのだろう? 結婚してもこの関係は続くのだろうか。桜川さんにとってはどちらも大したことではない。
「何か言われたのか?」
俺は首を振る。桜川さんは何も言わないです、いつも。
「もう少し、信じてやれよ、あいつのこと」
優しく言われ、奥歯をかみしめる。
「くっ……」
こらえきれずにこぼれた滴は、澤辺の親指にすくいとられた。
「うっうっ……」
そして、何度も頬をぬぐわれる。
この人の前で、こんな醜態をさらしたくなかった。しかし、考えてみれば澤辺だけなのだ。すべてを打ち明けられるのは。桜川さんが心を許し、俺との関係を報告した相手。そう思うと、弱みを握られてしまったように、涙が止まらない。
気づけば、腕の中に引き込まれていた。胸に顔を押し当て、はなをすする。髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜられる。そういえば桜川さんも、よくこういうなで方をする。
「日和は兄弟がいないからさ……」
澤辺が静かに切り出す。
「俺が兄代わりみたいに、いつも一緒だった」
そう、俺の知らない桜川さんの顔を知っている。彼になら、結婚のことも、指輪のことも、何もかも話しているのかもしれない。
しかし、澤辺は唐突にこう続ける。
「それで妹代わりみたいのが、日和のいとこの栞。日和と少し似て美人だよ」
俺はパチパチとまばたきを繰り返す。
「この度めでたく商社マンと婚約したって」
「それって……」
澤辺の腕の中から抜け出すと、話の意図をくみとろうと、じっと顔を見つめた。
「大丈夫。日和はちゃんと好きだよ、俊哉のこと」
思わずうなずく。
気まぐれにキスをしてきたり、かと思えば、こんな風に慰めて安心させてくれたり、どちらが本当なのだろう? 何かたくらんでいるのだろうか。それともこの間のことはただの冗談で、実はいい人なのだろうか。
澤辺の笑顔からそれを――うっ読めない。
あまりにもさわやかに微笑まれてしまって見失ったが、心が折れかけていた俺は後者であると信じたかった。
い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る をわ か よ た れ そ つ ね な ら むう ゐ の
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